小出監督の死因は何?経歴や指導法と元教え子や家族についても迫る!

 2000年のシドニーオリンピックで女子マラソン初の金メダルを獲得した高橋尚子さんをはじ

め、多くの女子長距離選手を育てた小出義雄氏が今朝、80歳で亡くなりました。

一流女性アスリートを多く育てており、先月まで指導に関わっていた情熱的な人でしたね。

小出義雄氏は、勝つために何をすればいいかをよく分かっていた指導者だったと思います。

また、選手の特徴に合わせた指導法をとっていたことでも有名です。

高橋尚子さんや、有森裕子さんをはじめ、多くの選手を育て、女子マラソンの世界では指導実

績では、ナンバーワンだったと思います。

ここでは、小出監督の死因は何かについてと、経歴や指導法、元教え子や家族についてみてい

きたいと思います。

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小出監督の死因は何?

小出監督は、2015年8月に米国での合宿中に不整脈からくる心疾患で倒れ、緊急手術を受けて

おります。

その頃から体調は芳しくなく、今年の3月下旬にも心臓の具合が悪くて、検査したところ、心

臓以外にも肝臓や腎臓も悪化していたようです。

2週間ほど前に体調が悪化し、集中治療室に入り、話が出来なくなり、今朝亡くなりました。

小出監督はお酒好きだったことも関係してそうですね。

具体的には、虚血性心疾患や急性心不全、急性心筋梗塞、大動脈瘤、大動脈解離、肝硬変など

が死因となったと思います。

心臓疾患は不規則な生活や過労やストレスが原因になることも多いので、小出監督は指導に熱

心なだけに頑張り過ぎたからではないかと思います。

その後、死因は肺炎だったことが判明しました。

引用:https://twitter.com/hashtag/%E5%B0%8F%E5%87%BA%E7%BE%A9%E9%9B%84

小出監督の経歴や指導法

小出監督の経歴

生年月日 1939年4月15日
出身地 千葉県佐倉市
学 歴 順天堂大学卒
家 族 啓子夫人と娘3人

順天堂大学卒業後は、千葉県立長生高校、千葉県立佐倉高校、市立船橋高校の3校で23年間、高校教師をする

1988年 リクルートでランニングクラブ監督に就任

1997年 積水化学で女子陸上部監督に就任

2001年 佐倉アスリート倶楽部設立し、監督に就く

     その後、佐倉アスリート倶楽部に籍を置きながら、トヨタ自動織機やユニバーサル

     エンターテインメントで指導

2019年 3月で体調が悪化したことから、指導者としての一線から離れる。

小出監督の指導法

小出監督の指導法は、選手の特徴を重視し、その選手に合った指導法を実践してました。

選手を褒めて育てるのが有名でした。

リクルート時代に、女子選手からセクハラを訴えられて謹慎処分を受けたこともあり、そこか

ら一律の指導法から選手に合った指導法になったと思います。

有森選手はスプリント力はありませんでしたが、彼女の勝負強さや忍耐力を生かした走り方を

指導しました。

鈴木博美選手は、スプリント力があったので、スピードを生かした走りを指導しました。

高橋尚子選手には、スプリント力は平均的でしたが、高速で走り続ける持久力があったので、

それを生かせるような指導でした。

また、常識にとらわれない指導もしてました。

高地トレーニングについても標高2000m以下でのトレーニングが一般的でしたが、標高3500

mでの山道でのトレーニングを高橋尚子選手に刊行し、シドニーで金メダルを獲得しました。

決して突発的な思い付きではなく、よく研究して実践してきたことが成功につながったと思い

ます。

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元教え子や家族について

小出監督の元教え子

小出監督の元教え子には、一流のアスリートが多いですが、中でも有名なのは、以下の選手た

ちです。

  • 有森裕子さん(五輪2大会連続女子マラソンメダリスト)
  • 高橋尚子さん(シドニー五輪女子マラソン金メダリスト)
  • 鈴木博美さん(世界陸上アテネ大会女子マラソン金メダリスト)
  • 吉田直美さん(世界陸上シュツットガルト大会 1万メートル日本代表)
  • 志水見千子さん(アトランタ五輪5000m4位)
  • 五十嵐美紀さん(バルセロナ五輪 1万メートル日本代表)
  • 千葉真子さん(世界陸上パリ大会女子マラソン銅メダリスト)
  • 新谷仁美さん(世界陸上モスクワ大会女子1万メートル5位)
  • 堀江知佳さん(2002年北海道マラソン女子の部優勝)

元教え子としては有森裕子さんや、高橋尚子さんが有名ですが、他にも多くの教え子が実績をだしていることが分かります。

小出監督の家族

小出監督は妻の啓子夫人との間に3人の娘さんがいるようです。

啓子夫人は、千葉県立長生高校の陸上部で小出監督に走り幅跳びや3段跳びの指導を受けてい

たようです。

1971年に2人は結婚し、23年間務めた高校教師を辞めて、世界的なランナーを育てたいという

小出監督のわがままを受け入れており、その後も監督の決断に反対しなかったようです。

次女の小出正子さんも元マラソン選手で積水化学に在籍した頃は、小出監督の指導を受けてお

ります。

高橋尚子さんのシドニー五輪出場権のかかったマラソン大会にエントリーする予定でしたが、

監督が高橋尚子さんへの指導に集中できなくなることを考慮して取りやめたようです。

現在は小出監督が設立した佐倉アスリート倶楽部で選手の指導にあたっております。

親子関係も円満だったことが分かりますね。

他の娘さん達とも円満な関係だったようです。

 

 

 

 

 

 

ま と め

小出監督は実業団での指導は、40代後半からであり、指導者としてのスタートは遅かったです

が、多くの選手を育てており、素晴らしい実績を残しました。

高校教師時代の苦労や経験も実業団での指導ではプラスになったと思います。

ただ、それでもリクルートや積水化学に在籍した頃には何度か指導法等を巡って会社側と対立

をすることもあったようです。

自分のやりたい指導方針で自由に選手を育成する為に佐倉アスリート倶楽部を設立したと思い

ますが、やはり生き生きとした表情で指導していた印象が強いです。

小出監督は、東京五輪までは死ねないと言っていたようで、指導にあたっていた選手のことも

気になっていたようです。

本人は無念の気持ちでしょうけど、天国でのんびりして欲しいと思います。

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